サハラノコト

好きなことを探して生きていく

心のモヤモヤが晴れた日に私がしたこと

仕事を辞めて約2ヶ月。1日の終わりはあっという間なのに、仕事をしていたのはずっと昔のような気がする。早いような、遅いような、不思議な時間の流れ。

 

 

毎日のルーティー

朝起きたらまずヨガをして(疲れすぎたらもう一眠りしてしまうけれど)、洗濯と掃除、他の家のことをしながら手帳を書いたり本を読んだり、インスタを眺めて過ごすのが最近の1日の流れ。そうこうしていると日が暮れてきて、薄暗くなった頃にようやくスーパーに行くために重い腰をあげる。旦那さんが帰ってくる時間をそわそわと気にしながら、できるだけ急いで帰宅。夕方に買い物をすると店や道も混んでいてバタバタするのに、明る時間帯はキツい日差しを浴びたくなくて、買い物はやっぱり夕方よねーと決めていた。

そんな感じだから最近の行動範囲はもっぱら近所のスーパー。遠出といえばときどき旦那さんが連れて行ってくれる本屋さんとスタバくらい。基本的には家にこもって過ごしている。

平和すぎる日常の中で一番のトピックスといえば、ヨガの習慣化に成功したこと。こもりっきりの体を少しでも動かしてカロリー消費につなげたいという切実な願いに加えて、酷すぎる腰痛を自力でどうにかしようと足掻いたことが思いがけない結果を招いた。運動の苦手な私がヨガを習慣にできるなんて、自分でも驚いている。でも息を吸って、吐いて、体を必死に伸ばしていると余計なことを考えなくていいというのがよかったのかもしれない。

いつもと違う行動が気持ちを変えるきっかけに

でも昨日、いつもより早い時間帯に旦那さんが出勤。それに合わせていそいそと私も身支度を整え、忘れそうになっていた溜まったゴミ出しをなんとか終える。こんな時間に外に出るなんて久しぶりでひんやりとした空気が心地良い。清々しい空気感に誘われて、「散歩してみよう」そんな気持ちになって歩き出した。

家の近くは住宅街になっているけれど幹線道路をつなぐ道があることで意外にも車通りが多い。目的なく歩くのもなんだかなあと欲を出して、せっかくだからどこか公園にでも行ってみようかと思い立ったのでGoogleマップに聞いてみる(近くに公園があるかどうかもわからないくらい引きこもっていたことに気がつく)。15分ほど歩いたところにある公園に目的地を定めると、その近くにコーヒースタンドの表示を発見。コーヒーを飲みながら公園で休むのもいいなあとにんまりしながら朝の空気と小鳥さえずりを楽しみながら歩くことにした。

思いがけない散歩の効果

目的のコーヒースタンドは静かな住宅街の一角でひっそりと営業していた。近くを通ったことはあったのに、こんなところにあったなんてと少し驚きながらドアをガラガラとスライドさせて中へ入る。

「いらっしゃいませ」

ごく静かに響く音楽の中でスタッフさんがキビキビと動いている。豆を挽く音が響く。店内は視線が合わないように席が作られていて、そこにひとりの時間を楽しむ人たちがゆったりと過ごしていた。外と切り離された空間に惹かれて、思わずコーヒーを飲んで行こうかとも思ったが、ゴミ捨てをしたまま歩いてきた私が持っているのはスマホだけ。この贅沢な空間でスマホの画面を見るのはなんだかもったいないような気がして、次は絶対に本をもってこようとそっと決意した。

背中を押してくれたのは、温かなコーヒーと春風としいたけ占い

コーヒーの温かさをそっと両手で包んで、ほこほこした気持ちで目的の公園に向かう。足取り軽く向かったのに。到着して、たじろぐ。そこは「公園」のはずなのにちょうど真ん中が緩やかだけれど小高い丘のようになっていて、ベンチは入口と丘のてっぺんにぽつんと置いてある。入口付近は車やトラックがとても賑やかなので、私が座れるところは丘の上の東屋のみ。思っていた公園と違いすぎて、とりあえず丘を見上げて考える。

そこで頭に思い浮かんだのはこの前読んだしいたけ占い。「見晴らしのいい丘の上で風を感じる『風活』をして、これまでの自分をお疲れ様と労ってあげよう」みたいなことが書かれていたことを急に思い出す。今日のための言葉だな、と都合よく解釈して頂上を目指した。

街の中に突如現れた丘をなんとか上り、ふうと息をついてベンチに腰を下ろす。少し離れただけでうるさかったエンジン音は遠くなり、なんだか取り残されたような感覚になる。丘の高さに加えて街には傾斜が多いこともあって、住宅街は視線の下の方に広がり、想像よりもずっと遠くまで見渡すことができた。まだ熱いコーヒーの温度を両手に感じながらコクリと喉を通す。多少の強風に耐えていたが、じんわりとお腹が温かくなるのが心地いい。目線を上に向けると真っ青に澄んだ空。浅煎りのフルーティな甘さを舌の上で転がしながら風を感じることにした。

青空の下で深呼吸ができる日常への感謝

家の中でゆっくり過ごせていることが一番だと思っていたけれど、春のまだ冷たい風と暖かな太陽、そして眼下に広がる小さな街を眺めていると、不思議と気持ちが軽くなる。窓のない建物の中で一日中仕事をしていたときも、自宅にこもっているときも、建物の中に収まるのが当たり前だった。けれど、こんなにいいお天気のもとでは、今まで決めつけていた自分の輪郭が曖昧になる。月並みかもしれないけれど、「ああ、こんなに広かったんだ」と気づかされる。今まで狭いと思い込んで、勝手にぎゅっと縮こまっていたのかもしれない。溜め込んでいたモヤモヤとしたものをそっと吐き出して、少し埃っぽけれど凛とした春の空気を深く吸い込むと体が軽くなるような気がするから不思議だ。

お金のこと、仕事のこと、どうやって生きていくのか、自分の中で得意なことや好きなことは見つけられるのか、やる気と体のバランスとか、たくさんの「不安」がいつもぐるぐると体の中心にあって、ずっと重たかった。ちょっとずつ軽くなる感覚、どうして昨日までと感じ方が違うのか。

たぶん、「今」のことしか考えていなかった瞬間なのかなあと思う。頭の中を空っぽにしていつものような屁理屈なんかすっ飛ばして、感じるままに感じる。いつもリスクヘッジを怠りたくない私は、もしああだったら、こうだったら、やるべきか否か、頭の中は始終忙しい。石橋を叩いて渡らないこともしばしば。そうやって遠くばかり見ているのに、肝心の一歩が踏み出せない。踏み出せない原因を考えて後ろを振り返ったり、もう一度前をみて、片足を上げてみるものの、それでも一歩が出ない。慎重といえば聞こえはいいけれど、完全に臆病者なのだ。でもそれを周りに気づかれたくなくて、なんでもないふりを一生懸命にしている。そして、結局同じところに立ち止まったまま、という面倒くさいスタイルがすっかり板についていた。

でもあの朝はそんなこと考える必要がなかった。

気持ちいいな。

日差しもいいかもな。

夕暮れもいいけど。

コーヒーおいしい。

浅煎りを選んだのは大正解。いい仕事した。

あ、お店の人の仕事か。

いやいや、これを選ぶ私もなかなか。

スマホも本も見ないで過ごすのも結構いいな。

もう少し風が穏やかだったら最高なのに。

でもこのくらいの方が外にいる!!って実感があるかも。

あーーー、なんだか幸せかも。

 

取り止めのないことばかり考えていたし、寒くて長い時間は居座れなかったけれど濃厚な時間。その上、とことん自信のない私が「幸せかも」なんて気持ちがふわっと湧き出てくるとは、自分でも驚いた瞬間だった。もしかしてこういう時間をちょっとずつ集めていけば、幸せが積み上がって、自分のことをもっと認められるようになるのかもしれない。

やっと訪れた春、その幸せを噛み締めるためにあった長い冬、早い時間から美味しいコーヒーを淹れてくれた店主さん、コーヒー豆を作ってくれた農家さん、みんなにありがとうの気持ちがふわふわと湧いてくるいい朝だった。

急に考えや感覚が一気に変わることなんてないから、きっとまたすぐネガティブな私に戻ってしまうけれど、そしたらまた大切な時間を集めて1歩でも進もうと思う。