サハラノコト

好きなことを探して生きていく

私も、「ここじゃない世界に行きたかった」

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かつて「バズライター」と呼ばれた凄腕WEBライターの塩谷 舞(しおたに まい)さん。同世代だというのに当時の私はネットに疎く、メディアでもて注目されていた(今ももちろん有名)という彼女を知らなかった。『ここじゃない世界に行きたかった』という初出版の本が紹介されているのを見て、なんとなくテレビ出演されていた過去の映像を調べてみる。

映像は書籍出版後に撮られたインタビュー形式のもの。塩谷さんがもつ「暮らしの価値基準」について、著書の紹介を含めてお話しされていた。軽い気持ちで見始めたのだが、塩谷さんが「価値基準」を中心に話す内容はとても興味深く、素直に素適だと感じた。その一方、私の心は苦しくなるほどにざわつく。その動揺を解決するために居ても立っても居られず近くの書店まで走った。塩谷さんの本は、青と白が混ざり合う空を見上げているような、繊細で美しい表紙でした。

 

私も、「ここじゃない世界に行きたかった」

 ずっと「ここじゃない世界に行きたい」と願ってきた。

 どこか遠い場所に行けば、この身体に付きまとうぼんやりとした憂鬱からも解放されて自由になれるものだと思っていたのだ。けれども大人になり、遠い都市に、遠い異国に行ったとて、そこでまず出迎えてくれるのは新しい憂鬱だ。

出典:塩谷舞『ここじゃない世界に行きたかった』

私も『ここじゃない世界に行きたい』と思っていたひとりだ。幼い頃からずっとずっと願っていた。理由はいろいろとあるけれど、ピークとなったのは20代の頃、生まれて初めての海外をした後。新鮮な空気感に魅せられて、日本以外の国に対する興味が爆発した。海外の「食」への興味、本で見る古めかしい建物が今も立派に使われている街並み、海外で過ごす人の考え方。新しく見える世界に対しての興味がとにかく尽きなかった。

しかし、そんな心の裏側を覗けば憂鬱が渦巻いていたのかもしれない。仕事はそれなりに必要とされてうまく回っていたけれど、先のことを考えるとなんだかモヤモヤしていた時期だった。今の仕事や将来の自分の生業に関しての不安、そして当時お付き合いしていたパートナーや親との関係性。そういったものが絡み合って、すべてゼロにして新しい場所でやり直したいという気持ちがないといえば嘘だった。30代がうっすらと見え始める年齢だったこともあり、「今やらなくては」という焦りもあったのかもしれない。けれど、そんな気持ちは押し込めて、結局私はなんとなく折り合いをつけてしまった。

折り合いをつけることを覚えた

なんだかんだで住む場所や仕事も変えながら生きてきて、その瞬間は確かに一歩踏み出すことはできていた。でも、片足はずっと残している感じだ。その中途半端な状態のまま、気がつけば10年が経ってしまった。戻ることはできないのに進んでもいないような感じがする。納得しているわけでもないけれど、「まあいっか」と受け入れることもできていいない。昔から白黒はっきりつけたいタイプの私はこの状態がずっと苦しかった。

折り合いをつけてしまった理由はいろいろとあるけれど、

海外移住の計画はワーキングホリデーを使ってとりあえず1〜2年滞在することを想定した。がんばって英語を話せるようになって、世界を広げたい。日本以外に住む人の考えや現地の空気を感じてみたい。自分の意見を言うのがいつも怖かったけれど、主張を求められる海外ではその怯えから解放されるのではないか?そんな期待があった。

けれどワーキングホリデーはほとんどの国で30歳まで。その期間が終わったら私はどうするの?英語を使った仕事をする?需要はあるだろうけれど見つけられる?パートナーとの関係は?この人と別れてしまったら他に誰か受け入れてくれる人はもう現れないんじゃない?海外で新しいパートナーが見つかるかもしれないけれど、自分の足で立つことができない私が自立した関係を築ける?そもそも何を目的にするの?ただの興味だけで今の生活を捨ててしまっていいの?

興味だけではどうしても飛び出せず迷っていたところ、結局、周囲の言葉で新しいチャレンジをやめた。それは「そんな理由で海外に行くなんてわがままだ」という趣旨の言葉。極めつけだった。「わがまま」という言葉を跳ね返すほどの情熱よりも不安が勝ってしまった。具体的な目的もなく海外に行っても得るものは少ないかもしれない。それよりも今周りにいる人たちを大切する方が大事なのではないか。そうすれば少なくともひとりぼっちになる不安が高まることはないだろう。必要としてくれている人の中でがんばることは正しいだろう。そうして自分との折り合いをつけた。

折り合いをつけても

結果、私が失いたくなかった「安心」はなくなることなく続いている。ここじゃない世界に行かなかったことで得られたものがあったことも間違いない。でも、これが「正解」だったのかはわからない。安心はときどき窮屈になるし、ずっと周りの顔色をうかがっている。それに、ふと「あのとき安心を捨てて行動していれば、どんな世界が見えたんだろう」と想像してしまう。思いもしないしないようなつらい目に遭ったかもしれないけれど、少なくとも誰かの顔色をうかがって行動することは辞められたんじゃないか。もっと自由になれたんじゃないか。

だから「遠い都市に、遠い異国に行ったとて、そこでまず出迎えてくれるのは新しい憂鬱だ。」ったとしても、前に進んでいけることは意味があるんじゃないかと思う。どちらを選んでも憂鬱が待っているのであれば、新しく得る可能性に挑戦してみる価値は十分にある。少なくとも「しなかった後悔」に一生つきまとわれることはない。それに異文化の中に身を置いて、その空気や摩擦を肌で感じることは画面を通しては得られない。まあ、憧れの冒険者に対して安全なところにいる平凡な私がこんなことを思う資格はないのだけど。

最後に

塩谷さんは本の最後に「自分の理想郷」への考えを綴っている。それは私も同じ考え方をしていたけれど、実際に行動が伴っているかが塩谷さんと私との違いだ。これまで書いてきたように、結局私は「何か」のせいにしてずっと立ち止まったままだ。大事なのは折り合いをつけることではなかった。今いる場所でも自分の体も頭も動かせるのだから私はもう少しもがいてみようと思う。