サハラノコト

好きなことを探して生きていく

手帳時間のメリット5選

手帳/バレットジャーナルを使い始めて3ヶ月近く経ちました。最初は新鮮な気持ちで書いていたのですが、だんだんマンネリ化してしまい3月の手帳はずいぶん薄い内容になってしまいました。すると手帳時間が減るのと一緒にメンタルも下降気味。これはいけない!!!と取り組んだ対応策とその過程で気がついた手帳のメリット5選を紹介します。こんな方におすすめの記事です。

  • 手帳を続けられないorマンネリ気味の方
  • 自分に自信がない方
  • やりたいことがわからなくなったとき

ちょっとだけでも自分を肯定できる瞬間が増えるといいなあと思っています。

 

手帳を続けられない原因

手帳時間が減った原因は大きく分けて3つ考えられます。

  • 今日は書くことないなあと開かない日が増えた
  • 気持ちが沈むような記事に影響されてメンタルが崩れた
  • 下降メンタルで見るネガティブな情報によりスマホで「おすすめ」を見て更に悪循環に陥った

「予定・タスクがない」=「書くことがない」=「手帳を開かない」

後で何をやるか決めたら書こうかなーとか曖昧にしていると、「後で」なんてタイミングはやってこない日の方が多かったのです。「何か」がないと手帳を開かないという図式は良くないのかもしれないと考えました。

また、気持ちが揺さぶられるような記事から受ける影響でメンタルが大荒れ。あまりにもメンタルが荒れる日が続くと体調にも影響が出ることもありました。春の寒暖の差というのも影響していたかもしれません。いろんな原因が絡みあった、まさに負のループ。…抜け出さなくては。

私の手帳ルール

そこで3つ決めごとをしました。

  1. 「何か」なくてもとりあえず手帳を開いてみる
  2. タスク(やらなくちゃいけないこと・やりたいと考えていること)は無理に書かなくてもOKと決める
  3. 考えたことをなんでもいいから書いてみる

マイルールを意識して少しずつ手帳を開く時間を増やしてみたところ、なんと悪循環からの脱出成功!!

メンタルを持ち直してから気がついたのは「コトだけに意識を向けない」「自分の心に耳を傾けること」が大事だなあということ。

続いて、心の変化を記録しておきます。

手帳時間のメリット5選

1.心が落ち着く

モヤモヤとした気持ちを誰かに話すと心が軽くなる経験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。聞いてくれる存在・時間はとても大事ですよね。

でも相手が「人」の場合、ちょっとした問題が生じることもあります。内容によって言えない部分があったり、ひどい言葉にならないように表現を選んだりと気を遣う場面もありませんか?

いつも100%で話せる人もいるのかもしれないけれど、私には難しいときもあります。聞いてほしいのに気がついたら相手の愚痴を聞いていたなんてことも、しばしば。それに、時期によっては誰かと共有するのがしんどいなんてときもあるでしょう。

でも「手帳」にはなんにも気を遣わなくても大丈夫です。殴り書きになってしまう日があっても罪悪感をもつ必要はないし、見返したりできないページがあってもOK。自分しか見ないのだから「良い」も「悪い」も意識しないで思ったままを書いていきます。瞑想(マインドフルネス)の本に書かれていた「そのまま感じる」というのに通じる部分があるのかもしれません。そうやって続けていくとモヤモヤとした不安の輪郭が見えてきて、形が見えてくると不思議と心も穏やかになっていることが多かったように思います。

最初は余裕がないから手帳なんて書けないと思っていたけれど、逆に手帳を書いていないからて余裕がなくなっていたみたいです。いろんな気持ちが心の中で淀んで不透明になってしまう前に、ふわりと身軽になっておきたいなあ。

書き方

この作業には手帳のDailyページ(日々のページ)を使っていました。ひとつのことについて1ページをいっぱいに使うこともあれば、メモ程度の日もあります。範囲を決めず、ペンが進んだところまで書いていきます。

ノートはツバメノートを使っているのですが、ペンがなめらかに走るし、色も生成りっぽくて落ち着きます。実は、最初から日付欄が組み込まれた日記帳や上質で厚みのある真っ白な紙のものだと「ここまで書かなくちゃ!」とか「キレイに書かなくちゃ!」と何故かプレッシャーを感じてしまいます…。そんな中、ツバメノートは私が重視する紙の質感で価格も1冊200円台なので気負わずに使うことができてがすごく気に入っています。

2.思考が整う

目の前のやらなくちゃいけないことと急ぎじゃないけどやってみたいこと。

ほしいものと今月の予算。

不安と楽しみ。

読みかけの本の続きや窓から見えるかわいいお散歩わんちゃん。

仕事をしていないくても考えることや決めなくちゃいけないことは案外たくさんあります。取り止めのないようなことも含めて一気に考えすぎると、頭の中で渦巻いては大切なことも巻き込んで消えていく(私だけかもしれませんが)。せっかく考えたことでも一旦消えてしまうと思い出す作業にエネルギーをしまうことが多かったです。でもそれってなんだかもったいない。そんなとき、必要なものを拾い上げて記憶に留めておくのに手帳が役立ちました。

すぐに決められないことや複雑に見えていることでも順番に書き出してみると、あれ、こんなもんかと意外とあっさり解決したりすることもあるのは嬉しい発見でした。それに書いておくことで「忘れないようにしなくちゃ!!」というプレッシャーからも解放されます。単純なことですが歩く時は身軽な方がいいですよね。

また、今すぐ変えられないことであってもその事実に気がつくか気がつかないかで心の持ちようは全く違ってきます。漠然とした不安から逃げるのではなくて、道標をつけておくことは思考の整理にとても役立つみたいです。

書き方

この作業にもDailyページ(日々のページ)を使っています。

3.記憶の引き出しの「鍵」になる

ウェブニュースや料理のレシピなんかを見ていると後で読み返したり、覚えておきたいようなことが出てきます。そんなとき、以前はブラウザを開きっぱなしにしてすぐに見返せるようにしていました。けれど時間が経つと興味が薄れてしまうことも多く、放っておくとスマホのタブを50近く開いているのに気づいてびっくり。改善するためにスマホアプリに気になった言葉やURLをメモすることもあったけど、結局見直す頻度は増えませんでした。

せっかく興味が湧いたのに知らないうちに忘れてしまうのはなんだかもったいないと思い、手帳の後ろの方に『気になることリスト』を作ってみることに。これが結構しっくりきました。人の名前とかキーワードを書いておけば、なんとなくどんなコンテンツだったか思い出す鍵になって記憶を引き出しやすくなりました。全て思い出すわけではなくとも、毎度最初からウンウン唸って考え直すよりはずっと気持ちが楽です。パラパラとページをめくったときに目に入る機会ができるので、それもプラスに働いているのだと思います。

4.やるべきことを意識できる

Weeklyページ(週間ページ)は予定やタスクをチェックするために使っていたのですがスペースがスカスカ。仕事も予定もないのだから当然と言えば当然。最近、DIYや不用品販売なんかを始めてみましたが、タスクが終わらない日が続くと落ち込むようになってしまいました。

そこで思い切ってフォーマットを変更。手帳が素敵すぎるアカウントねこねこさん(@88necoco)の書き方を参考にバーチカル方式にしてみました。そしてタスクの他にヨガやランチ、読書など「何に時間を使ったか」も追加してみました。

単純に書くことが増えると自然とページが埋まるので小さな達成感が湧いてきます。すると不思議なことにタスクもスムーズに終わるように。流れができてくると無理のない範囲内ですができることが増えてきました。

 

▼参考にした書き方(上手すぎて、これは思わず開きたくなる手帳ですね)

 
 
 
 
 
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5.時を刻む感覚を掴める

Weeklyページ(週間ページ)に「何に時間を使ったか」を書くようにすると自然と1日の時間の流れも意識するようになります。漠然とタスクだけを書いていた時よりも時間配分や効率も考えるようになってきました。そうすると作業への集中力も上がります。(スマホを見てだらけてしまうこともありますが…そういうときもある程度は良しとします)

そして1週間分の時間の使い方を眺めると、「この日はがんばったなー」「面倒だと思ってたけどちょっとでもやっておいてよかった」なんて自分を認めてあげるような気持ちになれたり、「もうすぐ週末だ!」と仕事のない1週間の中でも時間の流れを掴むことができるようになりました。毎週日曜日には1週間分の振り返りと翌週はどんなことを意識して過ごそうかと考える時間をとったのもよかったと思います。

昔からタイムマネジメントが苦手だったのですが、今、ようやくその足がかりを掴めたような感覚ですw当たり前にできる方がずっと羨ましかった…!流れを視覚的に見えるようにすると良い、と学べました。

最後に

手帳を続けるためには、”やることができたら書こう”じゃなくて最初に手を動かすことが大事だと気がついて、SNSでよく見る「手帳時間」「手帳タイム」の意味を理解できた気がします。全然完璧じゃないけどこれからも気長に続けていきたいことのひとつになりました。

私も、「ここじゃない世界に行きたかった」

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かつて「バズライター」と呼ばれた凄腕WEBライターの塩谷 舞(しおたに まい)さん。同世代だというのに当時の私はネットに疎く、メディアでもて注目されていた(今ももちろん有名)という彼女を知らなかった。『ここじゃない世界に行きたかった』という初出版の本が紹介されているのを見て、なんとなくテレビ出演されていた過去の映像を調べてみる。

映像は書籍出版後に撮られたインタビュー形式のもの。塩谷さんがもつ「暮らしの価値基準」について、著書の紹介を含めてお話しされていた。軽い気持ちで見始めたのだが、塩谷さんが「価値基準」を中心に話す内容はとても興味深く、素直に素適だと感じた。その一方、私の心は苦しくなるほどにざわつく。その動揺を解決するために居ても立っても居られず近くの書店まで走った。塩谷さんの本は、青と白が混ざり合う空を見上げているような、繊細で美しい表紙でした。

 

私も、「ここじゃない世界に行きたかった」

 ずっと「ここじゃない世界に行きたい」と願ってきた。

 どこか遠い場所に行けば、この身体に付きまとうぼんやりとした憂鬱からも解放されて自由になれるものだと思っていたのだ。けれども大人になり、遠い都市に、遠い異国に行ったとて、そこでまず出迎えてくれるのは新しい憂鬱だ。

出典:塩谷舞『ここじゃない世界に行きたかった』

私も『ここじゃない世界に行きたい』と思っていたひとりだ。幼い頃からずっとずっと願っていた。理由はいろいろとあるけれど、ピークとなったのは20代の頃、生まれて初めての海外をした後。新鮮な空気感に魅せられて、日本以外の国に対する興味が爆発した。海外の「食」への興味、本で見る古めかしい建物が今も立派に使われている街並み、海外で過ごす人の考え方。新しく見える世界に対しての興味がとにかく尽きなかった。

しかし、そんな心の裏側を覗けば憂鬱が渦巻いていたのかもしれない。仕事はそれなりに必要とされてうまく回っていたけれど、先のことを考えるとなんだかモヤモヤしていた時期だった。今の仕事や将来の自分の生業に関しての不安、そして当時お付き合いしていたパートナーや親との関係性。そういったものが絡み合って、すべてゼロにして新しい場所でやり直したいという気持ちがないといえば嘘だった。30代がうっすらと見え始める年齢だったこともあり、「今やらなくては」という焦りもあったのかもしれない。けれど、そんな気持ちは押し込めて、結局私はなんとなく折り合いをつけてしまった。

折り合いをつけることを覚えた

なんだかんだで住む場所や仕事も変えながら生きてきて、その瞬間は確かに一歩踏み出すことはできていた。でも、片足はずっと残している感じだ。その中途半端な状態のまま、気がつけば10年が経ってしまった。戻ることはできないのに進んでもいないような感じがする。納得しているわけでもないけれど、「まあいっか」と受け入れることもできていいない。昔から白黒はっきりつけたいタイプの私はこの状態がずっと苦しかった。

折り合いをつけてしまった理由はいろいろとあるけれど、

海外移住の計画はワーキングホリデーを使ってとりあえず1〜2年滞在することを想定した。がんばって英語を話せるようになって、世界を広げたい。日本以外に住む人の考えや現地の空気を感じてみたい。自分の意見を言うのがいつも怖かったけれど、主張を求められる海外ではその怯えから解放されるのではないか?そんな期待があった。

けれどワーキングホリデーはほとんどの国で30歳まで。その期間が終わったら私はどうするの?英語を使った仕事をする?需要はあるだろうけれど見つけられる?パートナーとの関係は?この人と別れてしまったら他に誰か受け入れてくれる人はもう現れないんじゃない?海外で新しいパートナーが見つかるかもしれないけれど、自分の足で立つことができない私が自立した関係を築ける?そもそも何を目的にするの?ただの興味だけで今の生活を捨ててしまっていいの?

興味だけではどうしても飛び出せず迷っていたところ、結局、周囲の言葉で新しいチャレンジをやめた。それは「そんな理由で海外に行くなんてわがままだ」という趣旨の言葉。極めつけだった。「わがまま」という言葉を跳ね返すほどの情熱よりも不安が勝ってしまった。具体的な目的もなく海外に行っても得るものは少ないかもしれない。それよりも今周りにいる人たちを大切する方が大事なのではないか。そうすれば少なくともひとりぼっちになる不安が高まることはないだろう。必要としてくれている人の中でがんばることは正しいだろう。そうして自分との折り合いをつけた。

折り合いをつけても

結果、私が失いたくなかった「安心」はなくなることなく続いている。ここじゃない世界に行かなかったことで得られたものがあったことも間違いない。でも、これが「正解」だったのかはわからない。安心はときどき窮屈になるし、ずっと周りの顔色をうかがっている。それに、ふと「あのとき安心を捨てて行動していれば、どんな世界が見えたんだろう」と想像してしまう。思いもしないしないようなつらい目に遭ったかもしれないけれど、少なくとも誰かの顔色をうかがって行動することは辞められたんじゃないか。もっと自由になれたんじゃないか。

だから「遠い都市に、遠い異国に行ったとて、そこでまず出迎えてくれるのは新しい憂鬱だ。」ったとしても、前に進んでいけることは意味があるんじゃないかと思う。どちらを選んでも憂鬱が待っているのであれば、新しく得る可能性に挑戦してみる価値は十分にある。少なくとも「しなかった後悔」に一生つきまとわれることはない。それに異文化の中に身を置いて、その空気や摩擦を肌で感じることは画面を通しては得られない。まあ、憧れの冒険者に対して安全なところにいる平凡な私がこんなことを思う資格はないのだけど。

最後に

塩谷さんは本の最後に「自分の理想郷」への考えを綴っている。それは私も同じ考え方をしていたけれど、実際に行動が伴っているかが塩谷さんと私との違いだ。これまで書いてきたように、結局私は「何か」のせいにしてずっと立ち止まったままだ。大事なのは折り合いをつけることではなかった。今いる場所でも自分の体も頭も動かせるのだから私はもう少しもがいてみようと思う。

不安すぎる毎日。どうすれば抜け出せるかちょっとだけわかった話

前回の記事ではぐるぐると不安を溜め込みすぎていたことや散歩をきっかけに思いがけず濃い時間を過ごせた日のことについて書きました。その後、以前読んだDaiGoさんの本『自分を操り、不安をなくす 究極のマインドフルネス』に不安の扱い方について書かれていたことをふと思い出し、読み返してみました。今読んでみると購入した当時よりも自分に刺さる内容が多かったので、特に印象に残った文章を備忘録としてまとめておくことにします。

 

人生の強敵「不安」。どうやって付き合う?

 不安というのは、普通は何かに追い立てられているから感じるものです。自分を追い立てているものがわかれば、対策を講じることができますし、たとえ一時は不安だったとしても、そうしたものがなくなれば安心できます。

 ところが、漠然とした不安には対処のしようがないため、恐ろしさばかり感じるのです。このような漠然とした不安の正体は何かを調べた研究がいくつかあります。結論からいえば、その原因は”マルチタスク”であり、そもそも私たち自身にその原因の正体があるのです。

私たちはいま、一つのことに集中することがだんだんできなくなっています。これはスマホ依存の研究から出てきたことによる知見です。

(中略)

スマホを使いすぎると、他人への共感能力が落ち、時間がなくなる感覚に陥り、不安や焦りが高じて、またスマホを触る、という悪循環が起こります。

出典:メンタリスト DaiGo『自分を操り、不安をなくす 究極のマインドフルネス』第1章 P.46「漠然とした不安や焦りの正体とは」より

 本来、私たちには「いま」しかありません。いまこの瞬間にいかに集中し、没頭できるかが大事で、その時間が長くなればなるほど幸せになれると分かっているのに、「いま」をないがしろにしているのです。

出典:メンタリスト DaiGo『自分を操り、不安をなくす 究極のマインドフルネス』第3章 P.130「幸せなはずなのに不幸を感じる三つの理由」より

不安の原因はマルチタスク×スマホ

私の場合はとにかく漠然とした不安でいっぱいでした。仕事、お金、将来、自分の能力、両親との関係…たくさんのカテゴリーが絡んでモヤモヤモヤモヤ。そしていつもマルチタスクをしていました。

マルチタスクとは短時間で切り替えながら、複数の作業を行なっていくことです。ビジネスシーンでは特に意識をせずに使っている方も多いでしょう。電話を受けながら、メールの処理をする、会議中に議論に参加しながら議事録を作成するなど、2つ以上の作業を行っていればそれはマルチタスクです。特にスマートフォンの普及で、パソコンで作業しながら複数のデバイスを同時に使うことも一般的になりました。

出典:『マルチタスクとは? シングルタスクとの違い、デメリットややり方を紹介 | HR大学』より

仕事をしているときから「私には時間がない」と思っていて、コレをしながらあれもやっとこうと複数のことをするのがすっかり習慣になっていました。例えば、スーパーでの買い物や料理中、食事中もYouTubeをながら聞きして情報を詰め込んだり、コーヒーを淹れながら食器の片付けをしたり。もちろん通勤中や休憩中もイヤホンをつけて情報収集を怠りません。いつもいつも不安で、それを解決するためのヒントがほしくて情報を取り込み続けました。

本を読むこともありましたが、情報収集にはスマホが欠かせないツールになっていたので20〜30分、ひどいときは1時間経つのもあっという間です。情報を手に入れ、その瞬間は安心しますが、結局ながら聞きではさほど記憶に残らなくて自分の行動は変わらない日々。そうすると不安も焦りもひと回り大きくなって、さらに詰め込む悪循環。本に書いてある通りになり過ぎて笑ってしまいます。

不安の悪循環は受け身の結果

仕事を辞めた今もマルチタスク×スマホがという最悪の組み合わせは、そう簡単には辞められません。ちょっとだけスマホ…と手を伸ばしたのに、あまりにもサラリと1日が終わってしまった日には罪悪感も膨らみます。不完全燃焼が続くと悪循環は加速し、せっかく「やりたい」が芽生えたとしてもどんどん後回しに。

「時間がなくなる感覚」というのは本当に苦しいですね。「なくす」ではなく、「なくなる」。受け身の結果です。「時が流れる」とかいってみれば聞こえはいいような気がしますし、心を癒すためにそういった時間が必要なときもあると思います。

でも「時を刻む」には自分で動くことが必要になります。能動的にならなくてはいけないのですね。

集中と五感が心を軽くする

でも、あの日の感覚は全然違いました。

目的地を目指して街の音を聴きながらゆっくり歩く。冷たい春風を頬で感じる。コーヒーの甘さと酸味とほろ苦さを味わう。ネットの世界から離れて、目の前の現実と自分の五感が動き出します。

そうすると、下を向いてスマホの画面に集中していたときよりも視界がぐっと広くなります。意識せずとも息苦しさから解放されて、情報をとにかく詰め込みたいという誘惑もなくなった瞬間でした。

普段外出するとなったら、アレもコレも使うかもしれないから念のためにと詰めこむ物が多くてずっしりと文字通り「背負い込んでしまう」のですが、あの日は「ゴミ捨てのついで」から始まった散歩は私を身軽にさせてくれました。

「いま」を積み重ねる

濃厚な時間を過ごしたことで、不思議と頭も体もすっきりとしてその日はとても調子良く過ごしたような気がします。掃除や読書もいつもより集中してのめり込んだなあという感覚で、その日の日記にも「いい日だった」と書いてありました。特に何か得ようとしたわけではないのに、すごく新鮮な気持ちです。時間は限られているから何かを同時進行した方が効率的だと思っていたのに、全然違ったのですね。限られているからこそ、大事に使わないといけないみたいです。

遅すぎる気づきでしたが、ようやく1歩進めた実感があります。「今」に集中することはなかなか難しいけれど、あの日の感覚を思い出して日々の生活でのなかで意識していきたいなあと思います。

最後に

不安についてもう一つ興味深いことが書かれてありました。

 つまり、普通にカウンセリングを受けるよりも、人間はどのように変わるのかをきちんと科学的に勉強したほうが、不安症やうつが3倍も軽減することが分かったのです。

出典:メンタリスト DaiGo『自分を操り、不安をなくす 究極のマインドフルネス』第1章 P.59「きちんと学べばたった30分で不安が軽減」より

「なんだかいい日だったなあ」という感覚を持ちながら本を読み返し、研究結果と DaiGoさんの噛み砕いた説明で「なるほどな」とストンと腑に落ちた後、確かに気持ちが軽くなったと思います。感覚なのでどのくらい不安が軽くなったのか表現するのは難しいし、後出しジャンケンのような感じもなくはない。

でも成果のひとつとして、こうやって文章を書くことに集中できるようになったことがあります。ずっとブログ更新が滞っていのは、気持ちが散漫でパソコンを開けば検索検索検索何について書こうか決めることもできなかったからでした。(書き始めたことはあったのですが、テーマが二転三転して自信がなくなって消沈)

長い文章、ましてや自分の考えを書くことは私にとって慣れない作業です。普段から考えをうまくまとめて伝えるのは苦手なのです。そんな私がたった2日ですが連続で更新できたことで既にやり遂げた満足感でいっぱいですw

DaiGoさんの『マインドフルネス』には他にも不安・コンプレックスの扱い方やメンタルを強くする方法、挫折や報われない状況から抜け出すためのヒント、マインドフルネス瞑想のコツなどこれから前を向いて歩いていくのに必要な知識がたくさん書かれています。研究結果を元した内容が多いので知識武装したい私にはぴったりの本でした。ときどき読み返して、自分の感覚と知識をすり合わせていけたらちょっとずつ変わっていけるかな、と前向きな気持ちに慣れた1冊でした。

心のモヤモヤが晴れた日に私がしたこと

仕事を辞めて約2ヶ月。1日の終わりはあっという間なのに、仕事をしていたのはずっと昔のような気がする。早いような、遅いような、不思議な時間の流れ。

 

 

毎日のルーティー

朝起きたらまずヨガをして(疲れすぎたらもう一眠りしてしまうけれど)、洗濯と掃除、他の家のことをしながら手帳を書いたり本を読んだり、インスタを眺めて過ごすのが最近の1日の流れ。そうこうしていると日が暮れてきて、薄暗くなった頃にようやくスーパーに行くために重い腰をあげる。旦那さんが帰ってくる時間をそわそわと気にしながら、できるだけ急いで帰宅。夕方に買い物をすると店や道も混んでいてバタバタするのに、明る時間帯はキツい日差しを浴びたくなくて、買い物はやっぱり夕方よねーと決めていた。

そんな感じだから最近の行動範囲はもっぱら近所のスーパー。遠出といえばときどき旦那さんが連れて行ってくれる本屋さんとスタバくらい。基本的には家にこもって過ごしている。

平和すぎる日常の中で一番のトピックスといえば、ヨガの習慣化に成功したこと。こもりっきりの体を少しでも動かしてカロリー消費につなげたいという切実な願いに加えて、酷すぎる腰痛を自力でどうにかしようと足掻いたことが思いがけない結果を招いた。運動の苦手な私がヨガを習慣にできるなんて、自分でも驚いている。でも息を吸って、吐いて、体を必死に伸ばしていると余計なことを考えなくていいというのがよかったのかもしれない。

いつもと違う行動が気持ちを変えるきっかけに

でも昨日、いつもより早い時間帯に旦那さんが出勤。それに合わせていそいそと私も身支度を整え、忘れそうになっていた溜まったゴミ出しをなんとか終える。こんな時間に外に出るなんて久しぶりでひんやりとした空気が心地良い。清々しい空気感に誘われて、「散歩してみよう」そんな気持ちになって歩き出した。

家の近くは住宅街になっているけれど幹線道路をつなぐ道があることで意外にも車通りが多い。目的なく歩くのもなんだかなあと欲を出して、せっかくだからどこか公園にでも行ってみようかと思い立ったのでGoogleマップに聞いてみる(近くに公園があるかどうかもわからないくらい引きこもっていたことに気がつく)。15分ほど歩いたところにある公園に目的地を定めると、その近くにコーヒースタンドの表示を発見。コーヒーを飲みながら公園で休むのもいいなあとにんまりしながら朝の空気と小鳥さえずりを楽しみながら歩くことにした。

思いがけない散歩の効果

目的のコーヒースタンドは静かな住宅街の一角でひっそりと営業していた。近くを通ったことはあったのに、こんなところにあったなんてと少し驚きながらドアをガラガラとスライドさせて中へ入る。

「いらっしゃいませ」

ごく静かに響く音楽の中でスタッフさんがキビキビと動いている。豆を挽く音が響く。店内は視線が合わないように席が作られていて、そこにひとりの時間を楽しむ人たちがゆったりと過ごしていた。外と切り離された空間に惹かれて、思わずコーヒーを飲んで行こうかとも思ったが、ゴミ捨てをしたまま歩いてきた私が持っているのはスマホだけ。この贅沢な空間でスマホの画面を見るのはなんだかもったいないような気がして、次は絶対に本をもってこようとそっと決意した。

背中を押してくれたのは、温かなコーヒーと春風としいたけ占い

コーヒーの温かさをそっと両手で包んで、ほこほこした気持ちで目的の公園に向かう。足取り軽く向かったのに。到着して、たじろぐ。そこは「公園」のはずなのにちょうど真ん中が緩やかだけれど小高い丘のようになっていて、ベンチは入口と丘のてっぺんにぽつんと置いてある。入口付近は車やトラックがとても賑やかなので、私が座れるところは丘の上の東屋のみ。思っていた公園と違いすぎて、とりあえず丘を見上げて考える。

そこで頭に思い浮かんだのはこの前読んだしいたけ占い。「見晴らしのいい丘の上で風を感じる『風活』をして、これまでの自分をお疲れ様と労ってあげよう」みたいなことが書かれていたことを急に思い出す。今日のための言葉だな、と都合よく解釈して頂上を目指した。

街の中に突如現れた丘をなんとか上り、ふうと息をついてベンチに腰を下ろす。少し離れただけでうるさかったエンジン音は遠くなり、なんだか取り残されたような感覚になる。丘の高さに加えて街には傾斜が多いこともあって、住宅街は視線の下の方に広がり、想像よりもずっと遠くまで見渡すことができた。まだ熱いコーヒーの温度を両手に感じながらコクリと喉を通す。多少の強風に耐えていたが、じんわりとお腹が温かくなるのが心地いい。目線を上に向けると真っ青に澄んだ空。浅煎りのフルーティな甘さを舌の上で転がしながら風を感じることにした。

青空の下で深呼吸ができる日常への感謝

家の中でゆっくり過ごせていることが一番だと思っていたけれど、春のまだ冷たい風と暖かな太陽、そして眼下に広がる小さな街を眺めていると、不思議と気持ちが軽くなる。窓のない建物の中で一日中仕事をしていたときも、自宅にこもっているときも、建物の中に収まるのが当たり前だった。けれど、こんなにいいお天気のもとでは、今まで決めつけていた自分の輪郭が曖昧になる。月並みかもしれないけれど、「ああ、こんなに広かったんだ」と気づかされる。今まで狭いと思い込んで、勝手にぎゅっと縮こまっていたのかもしれない。溜め込んでいたモヤモヤとしたものをそっと吐き出して、少し埃っぽけれど凛とした春の空気を深く吸い込むと体が軽くなるような気がするから不思議だ。

お金のこと、仕事のこと、どうやって生きていくのか、自分の中で得意なことや好きなことは見つけられるのか、やる気と体のバランスとか、たくさんの「不安」がいつもぐるぐると体の中心にあって、ずっと重たかった。ちょっとずつ軽くなる感覚、どうして昨日までと感じ方が違うのか。

たぶん、「今」のことしか考えていなかった瞬間なのかなあと思う。頭の中を空っぽにしていつものような屁理屈なんかすっ飛ばして、感じるままに感じる。いつもリスクヘッジを怠りたくない私は、もしああだったら、こうだったら、やるべきか否か、頭の中は始終忙しい。石橋を叩いて渡らないこともしばしば。そうやって遠くばかり見ているのに、肝心の一歩が踏み出せない。踏み出せない原因を考えて後ろを振り返ったり、もう一度前をみて、片足を上げてみるものの、それでも一歩が出ない。慎重といえば聞こえはいいけれど、完全に臆病者なのだ。でもそれを周りに気づかれたくなくて、なんでもないふりを一生懸命にしている。そして、結局同じところに立ち止まったまま、という面倒くさいスタイルがすっかり板についていた。

でもあの朝はそんなこと考える必要がなかった。

気持ちいいな。

日差しもいいかもな。

夕暮れもいいけど。

コーヒーおいしい。

浅煎りを選んだのは大正解。いい仕事した。

あ、お店の人の仕事か。

いやいや、これを選ぶ私もなかなか。

スマホも本も見ないで過ごすのも結構いいな。

もう少し風が穏やかだったら最高なのに。

でもこのくらいの方が外にいる!!って実感があるかも。

あーーー、なんだか幸せかも。

 

取り止めのないことばかり考えていたし、寒くて長い時間は居座れなかったけれど濃厚な時間。その上、とことん自信のない私が「幸せかも」なんて気持ちがふわっと湧き出てくるとは、自分でも驚いた瞬間だった。もしかしてこういう時間をちょっとずつ集めていけば、幸せが積み上がって、自分のことをもっと認められるようになるのかもしれない。

やっと訪れた春、その幸せを噛み締めるためにあった長い冬、早い時間から美味しいコーヒーを淹れてくれた店主さん、コーヒー豆を作ってくれた農家さん、みんなにありがとうの気持ちがふわふわと湧いてくるいい朝だった。

急に考えや感覚が一気に変わることなんてないから、きっとまたすぐネガティブな私に戻ってしまうけれど、そしたらまた大切な時間を集めて1歩でも進もうと思う。

【本の感想】自分を変えたいと悩み続けている人におすすめ|行動のきっかけになる本

自分を変えたい!

もっとすごい自分に変わりたい!

 

ふと、こんなことを考えることはありませんか?

私はここ数年ずっと思い続けています。

でもなかなか変われない…

もはや永遠のテーマなのかなあと思ってしまいます。

 

幸せってなんだろう…

 

こんな漫画のようなセリフを吐くなんて

子どものころは想像もしていなかったなあ。

  • 自己啓発本を読んだり、成功している人のSNSを見てるけど同じようにできるはずがないと思っている
  • やろう!と決めるけど結局何もできていない
  • 結局変われないという現実…でもやっぱり変わりたい泣

モヤモヤとずっと立ち止まっていた私ですが、今回ご紹介する本『私はただ、「生きてるー!」って叫びたいだけだったんだ』大鈴佳花著の内容を実践してみたら、「なんだか変わっていけそう」と少し手応えを感じることができました。もし、同じように悩んでいる方の参考になればと思います。

ふんわりとした印象の表紙。なのに著者は「未来覚醒スペシャリスト」

優しい雰囲気のイラストに惹かれて本屋さんで偶然手に取りました。パラパラ〜っと内容を見つつ、著者の紹介をみると「未来覚醒スペシャリスト」の肩書き。

 

え、怪しい…(大鈴さん、すみません)

 

スピリチュアル系は全く興味がなく、普段ならすぐに棚に戻してしまうところですが、せっかくだし、と軽く内容を読んでみるとなんだか心に刺さる。思わず買ってしまいました。

 

物語は、仕事はトップの成績、東京タワーの見えるマンションに住んでブランド品で身を固める、成功しているように見える生活から一転、整体の施術ミスで寝たきりになってしまった主人公とその「大佐」の対話形式で進みます。引き寄せの法則をストーリーで解説している感じでしょうか。主人公が魂の存在を怪しがったり、大佐に告げられたミッションを葛藤しながら自分や家族と向き合っていく姿が、とても読みやすいのにハッとする気づきを与えてくれます。

自分を変えるために実践しようと決めたこと3選

主人公が実際に行動することで人生がどんどん変わっていきます。と、言っても主人公は本の中ではずっと寝たきりのまま。正しくは考え方や捉え方を変えたことで、人生が全く違ったものになっていきます。

具体的な行動落とし込みやすい内容だったので、早速いくつか実践してみることにしました。でも私はいつも結局「やらない」「続かない」。

こんな私でもできそうなことと、それを実践するための具体的な方法

 

⒈すぐに叶う願い事を毎日ひとつ実現させる

願いには2種類あるようです。

  1. すぐに叶う願いごと
  2. 時間をかけることで叶う願いごと

 

2種類のうち、「①すぐに叶う願いごと」とはいっても毎日とはなかなかスパルタ。でもこれが変わるきっかけになるならと、決意しました。

最近始めたバレットジャーナルを活用してみます。バレットジャーナルを使う目的は2つ。1つ目は、ついつい面倒になって忘れてしまわないようにするため。2つ目はどうやって決めた願いを叶えるか具体的な方法を書いておくため。これでなんとなく流れてしまうことを防ぎます。記録するタイミングは寝る前、または当日の朝。日々の記録をつけるページを活用していきます。

  • おいしいケーキを旦那さんと一緒に食べたい(夕食後に食べられるように準備する)
  • キレイな部屋で過ごしたい(昼食を食べたら玄関とキッチンの床をクイックルで拭く)
  • スタバでコーヒーとスコーンを食べたい(今日の夕方、スタバに本を持っていく)

恥ずかしいですがこんな感じになりました。手帳が習慣になりつつあるので、今のところはこの方法で続けていけそうな感じがします。

 

何日か続けてみた感想としては、なかなかいい感じ。願い自体は小さすぎるくらいのものですが、「できた」「叶った」という実感が前向きにさせてくれて、なんだか気持ちいい。今まで意識することがほとんどなかった「自分でコントロールできている感じ」を実感することができます。私のように、気持ちはあるのに行動する勇気がでない人におすすめできる方法だなと思いました。それに、体調が悪いときは「ゆっくり休みたい」という願いにしたら何もできない罪悪感が薄れそうな気がします。

行動のハードルを下げても叶ったあとは少し自信が持てるし、何かすることに対して慣れていくには効果がありそうです。

「②時間をかけることで叶う願いごと」についてはもう少し考えようかなと思っています。

2.自分の才能を発揮するためには両親を認める

自分の才能なのに、両親を認めるとは??一見関係なさそうと思ってしまいましたが、私たちは親を選んで生まれてきていて、自分になるためには親の存在が必要。自分の才能も親から引き継いで生まれてきているから、親を否定することは自分の才能を否定することと同じというような内容でした。

正直、親との関係はあまり良くないので、思わず身構えてしまうテーマです。でも、自分の才能とはなんなのか、そもそもあるのか??と迷走中。なので、おとなしく先人の言葉に従うことにします。

母はいつも優しくて一歩引いた対応のできる人。でも自分の中でどうしても譲れないギリギリのラインはもっていて、きちんと言葉を選んで伝えるところがすごいなあと思います。

反対に父はカッとなると一線を越えた言ってはいけない言葉もうっかり出てしまう人。それが苦手で「話せばわかる」なんて夢の中の話かと思っていました。でも心の中では自分の行動を反省したり家族を守るために大変な仕事も毎日コツコツ取り組むことのできる人。

…今までいいところなんて探してもないと思い込んでいたけど、そんなこともないのかもしれません。ダメなところもあるけど、いいところもある。私自身だってきっと同じですよね。向き合うことを避けてきたテーマですが、これからは突っぱねないで進んでいこうと思います。

3.尊敬と嫉妬の違いを理解して、冷静になる

周りの人やSNSで人気の人と自分を比べて、他の人ってなんだかすごい・できる!と感じることってすごく多いです。「私とは違う😭」と思ってしまっていましたが、朗報です。誰かの尊敬できる部分は自分もその素質を持っているというのです!理由は、「すごい部分の存在がわからないとすごいと認識できない」から。とてもざっくりとした説明ですみません。自分にも「すごい」部分の種が眠っていることに気がつくきっかけになれば勇気がもてそうです。

反対に、嫉妬しているときは相手の背景が見えていないことが多いそうです。活躍する有名人やスポーツ選手、仕事の同僚。どんな人も積み重ねてきた経験があるから今の結果があるのに、その見えない努力を見ようとしなければ、良くない捉え方をしてしまう。

憧れと嫉妬は、似て非なるものなんですね。こういった違いを知ることは揺れる自分の気持ちの奥にある本当の願いに気がつくきっかけになりそうです。

でも、わかっていても難しい。まずは気持ちが動いたときにバレットジャーナルに書き留めておこうと思います。嫉妬してしまう自分のことも書き出すことで冷静になって、本当に自分が考えていることが事実なのか見つめ直すきっかけになればいいなあ。

幸せとは「成長すること」

幸せについてこんなにはっきりと定義される本ってめずらしいのではないでしょうか。自分の中でモヤモヤ考えてたどり着けなかった答えがなんだかあっさり書いていました。でもなんだか腑に落ちる感じもあります。

モノがあっても

誰かといても

求められたとしても

やっぱり、ずっと同じところにいたら幸せって感じられなくなりますよね。私もずっとずっと立ち止まっているか同じところをぐるぐると回っているような感覚で何年も過ごしてきたように思います。だからこそ考えるほどに納得してしまう言葉でした。

成長とは流動的なものです。常に変化しているものを形としてつかむことは難しいもの。自分で意識して感じ取らなければ空気のように漂っていることすら忘れてしまいます。同じく、成長の境界線も同じようにグラデーションになっています。昨日まですごくないのに、今日からは超人的!っていうことはありえない奇跡ですね。だから、だんだんと濃くなっていく成長の道を辿ることが必要で、いきなり大きなゴールを求めるよりもその途中にある中継地点での景色を楽しんでいく。成長する過程を楽しむことで人生が充実して幸せを感じることにつながるのでしょうか。

「人生は各駅停車」

先人たちはやっぱりすごいですね。

いろいろと考えすぎるとため息ばかり出てしまうので、まずは実践しようと決めたことをコツコツと楽しんでいこうと思います!

 

□■□ZARD『無我夢中』□■□

人生は各駅停車 ゆっくりでもいいよね

ただ予定調和な運びとならないように

日々 感性の扉 開けていたいと思います

 

HSS型HSPの私が、手帳に翻弄されて気がつく思考のクセ

仕事を辞めて

2週間が経ちました。

 

私の体調にいつも配慮してくれて

とてもよくしてくれた職場だったので感謝しかないのですが、

それでもしばらくひとりで静かに過ごしたかった。

 

一日中誰かの声や音楽が聞こえていて

人の動きに神経を使って

笑顔を崩さないように。

今までは自然にできていたことが苦しい。

 

だから、少し立ち止まることにしました。

そしてその相棒として選んだのが手帳

手帳を通して自分のクセに気がつき

日々の過ごし方に奮闘する記録です。

 

 

仕事を辞めて感じる安堵と恐怖

これまで休日は体力の回復と銘打って

だらだらしてしまうことが多かったです。

でも、これから仕事に行かなくてもいい。

 

大きな安心感を得た私でしたが

それと同時に「なんにも変わらないまま年をとっていくのかな…」と

毎日がなんとなく過ぎてしまうのではないかと恐怖しました。

 

手帳をとおして自分と向き合う

バレットジャーナルとの出会い

そんなとき見つけたのがバレットジャーナルという手帳の使い方。

 

ひとまず今月のやるべきことを書き出し、

タスク管理とハビットトラッカー(習慣の管理)をつけて過ごしてみます。

 

最初のうちはアレをやって次はコレ。

疲れてきても「もうちょっとがんばれー!!」と自分を励まし、

タスクを完了させることで充実感を得ていました。

 

「タスク」といってもそんなに大したことはない内容です。

日常生活に必要なことと億劫で後回しにしたり忘れがちになってしまうことを書いてみました。

  • ペットボトルをまとめておく(つい溜めがち…)
  • コーヒーをいれる(ちょっといい豆を購入😀)
  • 読書をする(ついつい積読…)
  • 本棚を整理する(夫婦2人分がごちゃごちゃ汗)
  • ヨーグルトをつくる(節約も兼ねて)
  • ネイルをする(憧れつついつも余裕がなくて…)
  • 歯科の再診予約をする(先延ばししがち)
  • ストレッチをする(肩こり・腰痛を解消したい)
  • 結露を拭き取る(この冬、最大の悩み)

 

完了して手帳にチェックする。

単純といえばそれまでですが、

「これだけのことをやった」と

手を動かして目で見て確認できることは

どうやら私に合っていることがわかってきました。

(ついでにペットボトル溜めずに捨ててえらい!とか独り言も書いて

自分を褒めてあげることもしてみましたw)

 

余談ですが、私は形から入ると失敗するタイプです。

使うもののメリット・デメリット、

その中で何を選ぶか、

どうやって進めていくか…などなど。

考えすぎて準備段階で息切れして実行できないことが多いのが悩みでした。

そんな傾向に最近気がついたので

まずは使いかけのノートでスタート。

使い切った!!という達成感を味わうことを裏テーマに進めていきます。

 

バレットジャーナルに翻弄される

バレットジャーナルを使うことに少し慣れてきた頃、

手帳を活用して夢を叶えている人がたくさんいることを知り、

私もそれに倣ってみることに。

 

どうやら、バレットジャーナルのメリットのひとつとして

「今月のすることリスト」や「ウィッシュリスト100」をベースに

達成するために必要な要素を具体的な行動に落とし込むことがあるようです。

叶えるためのロードマップを「シンデレラノート」という

おしゃれな形にまとめている方々も参考にしてみます。

 

しかし1ヶ月後、3ヶ月後…そして1年後。

肝心のどんな姿になりたいのかが思い浮かんでこない。

目標を立てる上で一番大事なのに…!

 

前回の記事のときから考えたつもりになっていましたが

いまだになんだかうまくできません。

 

これは大変、と得意の検索魔に変貌します。

  • ウィッシュリスト 作り方
  • バレットジャーナル 書き方
  • シンデレラノート なりたい自分

ウェブや動画、本も買って、なりたい自分を「探す」ことに。

 

そういえばこれまでもどんな自分になりたいかはイメージできていなかった…

なりたい姿が思い浮かばないのだから

とりあえずいろいろ手をつけてみる?

いやいや、それって遠回りじゃない?

でもやってみないとわからないし。

でも手当たり次第やってみるだけの体力がある?

それにいろいろやらなくちゃと焦って、結局体調を崩したのに振り出しに戻るつもり??

 

連日、何人もの私が頭の中で会議をします。

そして答えが出ないまま1週間が経過した今日。

ぐるぐる思考が止まらず、誰かどこから手をつけたらいいのか教えてほしい。

そんな祈りにも似た気持ちで過ごしていました。

 

自分のクセに気がつく

目標を「探す」ことを始めてノートに綴っているうちに

あることに気がつきました。

 

それは表面的に考えていることは前向き・ポジティブなことなのに

無意識のうちに後ろ向きなネガティブパワーが

考えていたことを無かったことにしてしまうという現象。

…伝わるでしょうか。

 

表向きの思考

  • どんな服を着ていたいの??
  • どんな雰囲気の人になっていたいの??
  • 何をしている人になりたいの??
  • どんな生活をしていたいの??

打ち消す思考

  • そんなこと本当にできるの?
  • これまでもできなかったのに?
  • 周りでも成功している人なんかいないのに?

 

自分でも怖いのはネガティブが発動するとき

「無意識」というところ。

透明のベールのようにふんわりと

私の前向きな思考を包んで知らないうちに

スーッと消していくような感じです。

 

結果

「うーん、どうしたいのかな…」と

知らないうちにスタートラインに戻ってしまうのです。

 

時田ひさ子さんが書かれていた本の内容を思い出し、ハッとしました。

かくれ繊細さんは感情と思考を分けてみることが難しい

かくれ繊細さんは、最初に感じた本当の感情を、説明や理由づけなどで、自分を納得させたりしてそのモヤモヤを消そうと自動的にしてしまいます。

 

そして、本当の気持ちを感じても、すぐにそれを封印してないことにしているので、自分で自分の感情がわからなくなってしまいます。

 

でも、感情はあります。一番最初に、実はなにかを感じています。

その、最初に感じたことはなんだったのかを知ることが、かくれ繊細さん解明のカギなのです。

 

かくれ繊細さんは、この説明、理由付けなどによって感情を見えなくすることが天才的にうまく、速いので、すぐに感情がわからなくなりがちです。

出典:『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』時田ひさ子著

 

それに気がついたのはついさっきのこと。

(忘れないうちに書き留めておこうとこの記事を書いています)

 

そうして周りにはポジティブだと思われている私が

思考を打ち消し続けて本音ではない方に進んできてしまった現在。

 

本音ではない「仮の目標」に寄りかかっている間は

進むべき方向がなんとなく見えているつもりになって

とても楽だったのだと思います。

楽だから気がつかなくて、寄りかかる時間が長すぎました。

 

自分で歩くための力がずいぶんと弱っているようです。

 

焦らない、焦らない

たぶん、

今の私の状態はケガをして休養して

これからリハビリをしていこうという段階。

早く歩き出そう!と意気込んでも焦りだけが空回りしています。

でもリハビリって時間がかかるものですよね。

 

無意識の心の動きに気がついたことが

今の私のスタートラインです。

きっと自分で立つことは、できているはず。

まずは立ち上がることができた自分を認めてあげることにします。

大丈夫。

 

歩くのは少し時間がかかるかもしれないけれど

きっと歩き出せると思います。

だから大丈夫。

 

もしかしたら思っているよりも時間がかかるかもしれないし、

途中で転んでしまうかもしれない。

でも大丈夫。

 

私はいつも焦っていて、

すぐに結果を求めようとしてきましたが

ゆっくり起き上がればいいのだと思います。

きっとまた自分の足で歩き出せるはず。

一つずつ、丁寧に。

焦らないこと。

 

毎日ちょっとずつ前に進んでいるはずの自分を手帳に刻んで

自分をゆっくりと見つめること。

非常に回りくどいですが

それが今の私にとっての丁寧な暮らしになっていくのかなと思います。

 

 

何度つぶやいても焦りたくなってしまいますが、ゆっくりで大丈夫。

今日も手帳を開いて自分を安心させていこうと思います。

好きなことがわからないときにHSS型HSPの私が取り組んだこと

「なにが好き?」

この普通すぎる会話、スムーズに乗り越えられますか?

私は平然を装いつつも、内心は冷や汗をかいていました。

なんでもアリの質問だからこそ躊躇ってしまいます。

ぱっと思いつかないわけではないのですが、本当に好きなのか自信がないという気持ちもあります。

堂々と好きなモノについて語る人を見ては、いつも羨ましく思っていました。

 

そうやって長い間過ごしてきましたが

今回、体調のことや将来のこと、人間関係…

いろんなモヤモヤがピークに達したとき、

初めてじっくりと向き合うことにしました。

そうしたら自分の中の「好き」や「大事にしたいこと」がわからない。

だから苦しいままなんだという結論に辿り着きました。

一人じたばたしたときのことを綴ってみようと思います。

 

私の心を動かす鍵は、「自分を責めない」ということでした。

 

はじめに

私ってなにが好きなのかなあ

ひとしきり頭をひねってみます。

 

雑貨とか、

食器とか、

インテリアとか?

でもなんだか心が動いている感じがしません。

 

旦那さんは私と正反対で自分の好きなモノがとてもはっきりしています。

音楽が好き!

洋服が好き!

本が好き!

いつも楽しそうに趣味を満喫しています。

嫌いなモノもはっきりとしていますが、その分、好きなモノに向けられるエネルギーはすごいです。

私にもいろいろと教えてくれるのですが、いつもエネルギッシュな姿が眩しい。

自分はなんでこんな簡単なこともわからないんだろう。

自信をなくしていました。

 

好きなことを見つけるために行ったこと

①自分の興味が向いている方向を探る

何となく気になるYouTubeを観る

まず最初にしたのがいろんな動画を観ることでした。

頭で考えてもピンと来なかったので、次々に上がってくるおすすめ動画をひたすら観る・聴く。

ローラー式にジャンル問わず見ていけばどこかでコトリと心が動く瞬間があるかもしれないと考えたからです。

加えて、動画視聴は私にとってメリットが多く、楽な方法でした。

1つ目のメリットは家にいながらいろんな世界をちょっとずつ覗き見れること。

2つ目は自分のペースで続けられること。

仕事以外は家にこもっていることが多く、

体調によって音がつらかったり、画面への集中力が続かないときもあったので

手軽にスマホを使ってできる動画視聴は私にぴったりの方法でした。

 

ちなみに私は北欧で生活する女性たちや夫婦の暮らしの様子、

現地の素敵なお店や自然などを発信しているチャンネルをよく観ていました。

穏やかに丁寧に過ごす姿や優しい音楽が心にじんわりと沁みるようで、落ち着いた気持ちになるのを感じていました。

 

昔、好きだったことを思い出して書き留める

動画をきっかけに子どもの頃はこんなこと好きだったなーとか、

社会人になりたてのとき、あそこのお店の雰囲気が好きだったなーとかちょっとずつ昔好きだったことを思い出すようになりました。

思い出したことを忘れてしまわないように書き留めておきます。

頭の中でぐるぐると考えるだけではこぼれ落ちてしまっていた気持ちも

文字にして客観的に見てみると実感が湧きやすかったです。

 

書き出してみると、私は主に暮らしに関することに興味をもっていることがなんとなくわかってきました。

食器やカトラリー、文房具などの雑貨類やインテリア類、そのモノ自体も好きでしたが。

それを売っているお店やカフェ・レストラン、提供される食事やカフェメニューなんかにもすごく惹かれていました。

 

②試す

暮らしに関するモノが好きかなと気がついた次の段階として、他人からどのように見えているか確認してみることにしました。

まず一番仲の良い友だちに「雑貨好きだなーって思うんだけど、どう見えてる?」

10年以上仲良く改まってこんなことを聞くのは恥ずかしかったですが

「え??昔から好きでしょ??」

「雑貨屋さんとかカフェの隅っこにある小物とかいつも真剣に見てたでしょー」

 

お…??

 

次は旦那さんに聞いてみます。

「え??今頃??」

「最近は買ってないみたいだけど、昔から雑貨とか食器とかすんごい見てたじゃん」

 

おおお…?

 

思い出した感覚は間違ってはいなかったものの、

私にとっては予想外の答えでした。

気がついていなかったのは私だけだったようです。

 

認められないのはなぜ?

さて、普通ならここで納得して終わりになるのでしょうか。

私の場合はもう1段階越えなくてはいけませんでした。

 

それは好きを認められないということ。

「好きだよね」という質問に対して素直に「うん、好きだよ!」となぜか言うことができず、

結局、せっかく聞いたのに「そうかなーあ」とはぐらかしてしまいました。

 

③原因を探る

好きなような気がするんだけど、なんだか好きと認められない。

面倒な性格ですね。

どうしてまだモヤモヤしているのか、ノートにいろいろと考えを書き綴ることを続けました。

そうしてたどり着いたのが「評価されることへの怯えから人に合わせて好きなものを決めていた」ということ。

 

「え、そんなの好きなの?」

「変わってるね」

「(熱中しすぎている私をみて)本当好きだよねー」

そんなふうに批評・評価されるのが怖くてすごく恥ずかしかった。

だから、自分が答える前に誰かの好きなものや興味のあることを聞いて、それに考えを寄せていく癖がついていました。

そして同じくらいの温度感で話す。

そうすれば極端に指摘されることもなく平和に過ごせているような感じがしていました。

 

いろんなことに興味を持っていた方がいいよね、と自分をちょっとだけ誤魔化して

誰かの考えに合わせることを長年続けていたから、自分の心がいつ動いているのかがすっかりわからなくなっていたみたいです。

 

でも恥ずかしくて認められなかったと気がついたとき、妙にすとんと腑に落ちました。

 

④「好き」を表現する練習

  • 好きなモノ
  • 好きを受け入れられなかった原因

 

両方とも自分の中に落とし込めたとき、久しぶりになにか買ってみたいなと思うようになりました。

最初に選んだもの。

それが花です。

フラワーベースも持っていなかったので花屋さんで合わせて買いました。

金額にして1000円くらいでしたが、すごくドキドキして小さなお店だったのにとんでもなく時間をかけて選んでしまいました。

 

家に帰って、早速飾ってみます。

白いカーテンに秋色のドライアンドラ

(ちょうど秋が深まった時期でした)

素直に、いいなあと思えました。

 

花を飾ってもなんの意味もないし、どうせ枯れてしまう花にお金を使うなんて無駄だとずっと思い込んでいたのに。

でも思い返してみると昔、カフェで働いていたときは花の買い出しやテーブルフラワーの水を変える作業が楽しかったことやその中でも特に、ガーベラやくすんだ色のネイティブフラワーが好きだったことを思い出すことができました。

 

④答え合わせ

旦那さんと母親に飾った花を見せて恐る恐る「どう?」と感想を聞いてみます。

すると

「わあ、おしゃれな花だね」

「素敵。あなたらしいね」

私が考えていた以上にふたりとも褒めてくれてびっくりしました。

 

 

「②試す」段階だった時の心の動きとは異なり、久しぶりに褒め言葉をそのまま受け取ることができました。

 

「いい感じでしょ!こういうくすんだ色の花、好きだったんだ!」

すっきりと言葉にできたとき、私は一歩進めたのだと思います。

 

⑤成功体験を重ねる

すごくすごく小さいことですが、いいなと思って飾った花を褒めてもらえたことが私の中では大きな成功体験となりました。

 

その後も素敵だなあと言う気持ちをそのまま言葉にしてみることを繰り返してみました。 

「滑らかな紙のノートっていいな」

「素朴なイラストの便箋が好き」

「手触りのいいカップがほしいな」

 

自分が思っていたより周りの人も「いいね」と認めてくれます。

そのたびに心が軽くなる気がしました。

 

周りに合わせがちなHSS型HSPの心の動き

本当の気持ちを器用に隠しすぎて迷子になる

思い返してみると、昔は猪突猛進型でした。

これだ!と思ったらとにかく突き進む!

そしてガムシャラな私を見ていた人に投げかけられた何気ない言葉。

 

もしかしたら気にしすぎなだけかもしれません。

言葉を投げかけた人に悪意のないことも十分わかっています。

それでも私にとっては小さなトゲとなって、ずっと胸の奥に刺さっているような感覚でした。

好きな気持ちを出そうとするとチクリと痛む。

でも誰にも打ち明けることはできません。

 

「こんなことで痛がるなんて恥ずかしいことだ」

自分が悪いような気がしていました。

だから知らないフリをすることに決めました。

そうしているうちにトゲが刺さっていたことはすっかり忘れたつもりになっていました。

 

でも違った。

 

忘れたつもりでも静かにずーっと残り続けているのだと思います。

 

許さなくていいから、自分で自分を責めないということ

最初のうちは「こんなの好きって言っても変に思われないかな」という不安がよぎることもありましたが、心が動いても「大丈夫」と否定しないように心がけました。

いきなり受け入れる、許すというのは難しすぎます。

いいか、悪いかは別にして、考えてしまったこと自体を責めないというところから始めました。

 

まるで小さな子が「何歳?」「かわいいねえ」と声をかけられてもじもじしてしまうような感覚かもしれません。

「恥ずかしかったんだねえ」と感じている気持ちをそのままそっと受け入れるように自分に接しました。

 

受け止めきれなかった気持ちも責めないことを続けることで

少しずつ少しずつ認めていけるようになっていった気がします。

 

最後に

自分なりの答えを導き出すまでにいろんな人の「好きなこと」で作られる世界観に触れてみたり、HSS型HSPの特性について調べてみたりしました。

ひとりで悶々と考えるのではなく、さまざまな感性や知識を取り入れることで少しずつ心の持ち方が変わっていきます。

「自分の感覚は変ではない」

「否定しなくてもいい」

「感覚を認めてもいいかもしれない」

以前に比べるとずいぶん自分のことを責めずに認められるようになったのではないかなと思います。

 

ここまで到達する過程で特に影響を受けた素敵な方たちをご紹介させてください。

これからも応援しています。

『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』

HSS型HSPカウンセラーの時田ひさこさんの本です。

ご自身もHSS型HSPの気質で悩んでいた経験とたくさん方とのセッションを通して見えてきた特性を図解やエピソードも交えながら解説してくれています。

何気なく本屋さんで手に取ったことで私は自分がHSS型HSPだと気がつきました。

HSS型HSP気質の方であればハッとする内容が盛りだくさんです。

特に、非HSPとHSS型HSPの持つ感性の幅の違いについて書かれている部分が衝撃的でした。

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『今夜もそっとおやすみなさい』

小手鞠るいさんのとっても優しいエッセイ。

眠る前にそっとラジオを聴くように読んでほしい

という気持ちで書かれた本で、作中の詩も素敵です。

 

小手鞠さんの語りかけをとおして

自分と向き合うきっかけをそっと作ってくるような気がします。

特に、小手鞠さんご夫妻の家の周りに住む動物たちの姿と人の生き方を

交錯させて書かれているところが印象に残りました。

自分を責めないという考え方もその一つで

子育てをしていたアメリカンロビン(コマツグミ)のエピソードそのものです。

じんわりと心に沁みる、何度も読みたくなる本です。

 

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